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仙台高等裁判所秋田支部 昭和49年(う)100号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

控訴の趣意は、弁護人渡辺隆提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

所論は、(一)原判決は被告人が排風機の運転を停止したものの電気熔解炉の熔解作業を継続したまま竹内肇及び塚田憲一に対し集塵室内の装置の点検等をさせた旨認定しているが、被告人は、竹内に対し単に集塵室内の装置の点検を命じただけで、排風機の運転の停止をしたこと又はそれを命じたこと並びに電気熔解炉の熔解作業の続行を命じたことは全くない。(二)被告人には本件事故に対する予見可能性がなく、結果回避義務もなかつたものである。すなわち、(1)集塵装置を取付ける前は、排風機をとめて電気熔解炉の運転中と同様に大量の煤煙の発生する工場内で一日中仕事をしていても、有毒ガスによる頭痛を訴えた者がないこと、(2)集塵機の点検基準が昭和四三年五月一五日制定され、四七年七月六日改訂されたが、その際これに関係した者は排風機の運転を停止すれば点検扉開放中に有毒ガスが集塵室内に流入してくることはないと考えていたこと、(3)被告人も排風機の運転のみを停止し電気熔解炉を運転したまま集塵室内に入つて点検した経験が何回もあるが、頭痛等有毒ガス流入を推測させるような事実はなかつたこと、(4)集塵装置のシェイキングシャフトが折損することは数年に一度しか惹起しないことであり、本件事故の際シェイキングシャフトが折損していることは予測できなかつたし、まして竹内が無謀にもシェイキングシャフトの折損を修理しようとして一時間半以上も集塵室内に居ることまで予想できなかつたこと、(5)本件事故の際には強い西北風が吹いていたために集塵室内に有毒ガスが多く吸い込まれたことから考えると、被告人には本件事故についての予見可能性がなく、結果回避義務もなかつたものであつて、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるというのである。

一所論にかんがみ、記録および証拠物を精査すると、次の各事実が明らかである。

(一)  被告人は、昭和四七年六月から原判示株式会社東北機械製作所新川工場(以下、新川工場という)製造第一課長代理として、同工場の電気熔解炉並びに集塵装置の操作等を掌理し、作業員に対しそれらの運転又はその停止等を指揮・監督する業務に従事していたこと、竹内肇は同課熔解部の係員として被告人の指揮・監督の下で被告人の右業務と同様の業務に従事していたこと、塚田憲一は前記東北機械製作所の下請会社の人夫として新川工場で働いていたものであるが、本件の際竹内から頼まれ、集塵室の装置の点検作業に従事したもので、この作業については、被告人および竹内の指揮・監督下にあつたこと。

(二)  新川工場では電気熔解炉(四トンのもの。以下、熔解炉という)で鋼材を鋳解していたが、その作業行程において多量の紛塵が発生するため排風機を運転しダクトを通して熔解炉から発生した含塵空気を集塵室に吸入し除塵したうえ排出していたこと、同時に、多量の一酸化炭素が発生していることを被告人らは認識していたが、熔解炉を運転し熔解作業中であつても、排風機の運転を停止すれば一酸化炭素が集塵室に流入しないものと考えていたこと。

(三)  新川工場では集塵室の点検について昭和四三年五月「TDC点検基準」を制定したが、四七年九月作業中における高所からの転落事故を防止するため、被告人や竹内らがこれを検討し、その結果に基づきこれを改定したこと(以下、改定したものを点検基準という)。右基準によると、点検は交代で行い、屋外では必らず一名は見張りをすること等がきめられていたこと。被告人は、竹内らと共に、点検基準に従い集塵室を点検していたが、作業は二〇分ないし三〇分ごとに交代して行い、全体の作業時間もおおよそ一時間前後であつて、従前、そのような点検方法で一酸化炭素中毒によると思われる事故は生じていなかつたこと。

(四)  被告人は、昭和四七年一二月二九日午前八時三〇分頃、新川工場事務所で竹内に対し集塵室の故障部分の点検を命じたこと、その際、排風機および熔解炉の運転停止等について指示せず、又他の作業員にもこれら指示を与えていないこと。

(五)  竹内は、被告人の命をうけて、塚田を指揮・監督しながら同人と共に同日午後四時五〇分頃から点検作業を開始したと思われること、その際、竹内が排風機の運転を停止したが、熔解炉の運転停止を指示しなかつたため作業員によつて熔解作業が継続されていたこと、同日午後六時三〇分頃と午後六時五〇分頃の二回熔解炉の作業員が竹内らの様子を見に行つたが、竹内、塚田の両名は、いずれも共に集塵室の中で作業をしていたと思われ、屋外に見張りがいなかつたこと、午後七時四〇分頃両名とも集塵室内に倒れていたのが発見されたこと、両名とも急性一酸化炭素中毒による窒息により死亡したこと。

(六)  本件事故後実験した結果によると、熔解炉を運転し熔解作業継続中送風機の運転を停止した場合の集塵室入口と奥における一酸化炭素の空気中の濃度は、熔解作業開始後三〇分で四五〇PPM、二五〇PPM、六五分で一、五〇〇PPM、二、五〇〇PPM、一〇〇分で六、〇〇〇PPM以上、四、五〇〇PPM以上であつたこと。

二以上の各事実に照らし被告人の過失の有無を検討する。

(一)  まず、一酸化炭素が集塵室に流入することについての予見可能性を考えてみると、熔解炉と集塵室とはダクトで連結されており、熔解炉には排気用煙突装置がないのであるから、排風機の運転を停止しても、熔解作業を継続すれば、発生した多量の一酸化炭素が集塵室に流入するであろうことは、被告人は、多量の一酸化炭素の発生することは認識していたのであるから、その地位・経験に照らし、少し注意すれば十分に予見可能であつたと思われる。集塵装置を製作した会社からはその点についての注意がなかつたこと、新川工場では、田口課長、竹内らもその危険性に気付いていなかつたこと、従前において点検作業中の一酸化炭素中毒事故が発生していないこと等の事情が認められるが、そうだからといつて、被告人の右予見可能性を否定することとはならないし、予見できなかつたのが相当であつたということもできない。

(二)  作業員が点検基準に従い、前認定の如き従前から行われていた方法・時間によつて点検を行うならば、一酸化炭素中毒死するおそれはないと思われる。すなわち、まず、熔解作業開始後一〇〇分頃までは三〇分位集塵室に入つていても直ちに生命の危険を生じるとは思われず、一〇〇分後には一酸化炭素の濃度が六、〇〇〇PPMに達しても熔解作業がその頃かその約一〇分後には終了し、次の熔解作業を開始するまで一〇分前後ありこの間に清浄空気が流入して一酸化炭素の濃度は相当薄くなると思われるから、その前後三〇分位集塵室に入つていても、やはり直ちに生命の危険が生じるとも考えられないのであり、そのうえ、点検基準に従い屋外に見張りの者がおれば、たとえ一酸化炭素中毒による事故が生じても直ちに救出され、死亡することはなかつたものと思われる。又、右のような方法によるならば、長時間にわたり徐々に一酸化炭素中毒に侵されるのと異なり、頭痛その他の中毒症状を顕著に感じ、室外に退出する等して、事故を未然に防止できた蓋然性が高いものとも思われる。

(三)  竹内は、午後六時三〇分頃と午後六時五〇分頃には塚田と共に集塵室内で作業をしていたことは間違いないと思われ(屋外には見張りは居らなかつた)、その作業内容がシェイキングシャフトの折損を修理しようとしたものであつたかどうか確定できないが、その作業時間はおよそ二時間にも達しており、その間塚田と二〇分ないし三〇分ごとに交代しながら作業していたとも思われない。

このような場合、竹内がその地位・職責に加えて、自ら被告人らと共に点検基準の改訂に参画しており、その内容は十分知悉している筈であり、これを率先して遵守しなければならなかつたものであり、又、従前において前記認定のような方法・時間で被告人と共に集塵室の装置の点検作業に従事したことがあり、自らの判断で熔解炉の運転の停止を作業員に指示できる立場にあつた以上、被告人としては、竹内に対し集塵室の装置の点検を命じる際特段の事情が認められないから、同人が点検基準を遵守し、かつ前記認定のような従前どおりの方法・時間で点検作業をすること等を期待して点検の指示をすれば足り、それ以上に格段の指示、注意を与えたり、さらには危険防止のために熔解炉の運転の停止を作業員をしてなさしめ或いはその指示をしなければならないものであるとは考えられない。結局、本件事故は、竹内が点検基準に違反して作業の際塚田と交代しながらしなかつたことおよび屋外での見張りをおかなかつたこと並びに長時間両名とも集塵室にいたと思われることが原因となつている蓋然性が高いものと思われる。

三以上のとおり、被告人には熔解炉の熔解作業を停止させ危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務がなかつたのに、原判決には、この注意義務があることを前提として原判示のとおり竹内、塚田両名に対する各業務上過失致死を認定している事実誤認があり、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決は破棄を免れない。結局論旨は理由がある。

そこで、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により、次のとおり自判する。

本件公訴事実は、「被告人は、秋田市川尻若葉町六番一号所在株式会社東北機械製作所新川工場製造第一課課長代理として同工場に設置されている熔鉱炉およびその集塵装置の操作を掌理し、作業員に対して熔鉱炉、集塵装置の運転および停止等の作業を指揮監督する業務に従事していたものであるが、昭和四七年一二月二九日作業員竹内肇(当時二七年)、同塚田惣一(当時四三年)に対し、右集塵装置室に入り同室内の装置故障部分の点検等を命じたが、右集塵装置室と熔鉱炉は、四方約五〇センチメートル、長さ約六四メートルのダクトを通じて接続しているため熔鉱炉運転により同炉から発生する一酸化炭素が右ダクト内を流動して右集塵装置室に入り、同室で作業中の者が一酸化炭素中毒になるおそれがあつたのであるから、このような場合熔鉱炉の操作を掌理する業務に従事するものとしては、熔鉱炉の運転を停止させ危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り熔鉱炉運転の停止方を指揮せず、これが運転を継続したまま右竹内および塚田をして同日午後四時五〇分ごろから右集塵装置室に入り同室内において装置故障部分の点検等をさせた過失により、おりから右熔鉱炉運転により発生した一酸化炭素が右ダクト内を流動して右集塵室内に充満させ、これを吸引した右竹内および塚田をして同日午後八時三〇分ごろ、右工場内において急性一酸化炭素中毒による窒息死するに至らしめたものである。」というのである。しかし、前説示のとおり、右公訴事実につき被告人には熔解炉の運転を停止させる義務がないと考えられるから、本件被告事件は罪とならず、同法四〇四条、三三六条前段により被告人に対し無罪の言渡しをすることとする。

そこで、主文のとおり判決する。

(中島卓児 萩原昌三郎 板垣範之)

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